私はよく頑張った。だからチームは解散することにする。

第1章 フリーランスエンジニアとして走り出した

私が独立したのは2017年の7月のことだ。独立当初は営業などしたこともなく、ランサーズなどのクラウドソーシングを利用して仕事を得て生計を立てていた。独立のタイミングで一緒にやらないかと声をかけてくれたデザイナーさんを頼って、約2年間は一緒に仕事をした。仕事を得る方法がわからなかった当時の私にとって、仕事を投げてくれる人は大変貴重で、良い経験を積ませてもらったと思う。同時に、当時は仕事を請ける金額が安すぎたため、赤字が膨らんでいって大変苦労をした。最初の2年間で親から借りたお金は800万円ほどを数えたと思う。

2年間が経過して、独立にも慣れてきたころ、私はデザイナーさんの元を離れる決意をして、一人歩みを進めることになった。デザイナーさんの元を離れるタイミングで、営業の坂本さんと出会ったし、この頃から以前と比較すると随分と大きな仕事が舞い込んでくるようになった。金額的には、数万円から数十万円の仕事ばかりに対応をしていた私だが、初めて100万円を超える案件に挑戦をするようになった。実際に500万円前後の仕事を2019年には対応をした。このプロジェクトには、多くのメンバーをアサインして対応に当たったのを覚えている。

第2章 エンジニアリングマネジャーとしての活動

駆け出しエンジニアリングマネジャーとしての失敗

百万円を超える規模の仕事を対応するようになった私は、自分1人では対応しきれないと感じたため、エンジニアの採用に乗り出すことにした。それが2019年の夏のことである。Indeedに広告を出したところ、7月に記念すべき最初の従業員となった当時大学4年生だった松本君から連絡がきて、そのまま一緒に仕事をすることになった。冬頃には、ウェブデザイナーの植原さんという方が加わったが、うまく人間関係が作れなかったため、2020年の6月末を持って退職となった。

そのすぐ後、8月には今も一緒に仕事をしている松井さんが採用応募に乗ってきた。当時の松井さんは技術者経験がまだ3年ほどのタイミングで、プログラミング自体もそこまで慣れているわけではなかったけど、自社では即戦力としてかなり活躍してくれた。2020年には、坂本さん、柏井さん、山田さんなど、多くのメンバーが自社に出入りしていたが、そのタイミングでコロナ禍となったため、市場が冷え込んで仕事が来なくなった。プログラミングブームとコロナによる在宅ワークブームが到来していたため、自社の採用は非常に好調で、2019年から2021年の夏までの2年間で、約80名の方を面接したし、実際に一緒に仕事をした人の数は15名程に上ったと記憶している。うまく関係を築けた人は、現在も仕事が続いている松井さんと2021年の冬から参画をしている熊本さんの2名だけだ。

2021年のコロナ禍で受注が途絶えたのに加えて、失注が重なり、この年は約1000万円の債務超過におちいった。2021年の秋には営業の坂本さんが離脱。2022年の5月には役員に昇格をさせて一緒にやっていく覚悟を決めていたはずの松本君も離脱する流れとなった。私自身の気持ちとしては、1000万円の債務超過に陥った上で、メンバーはどんどん離脱をしていく流れでやり切れない思いだった。

エンジニアリングマネジャーとして成長してチームを守れるようになった

2021年の9月末で坂本さんの営業代行の契約を打ち切ってから、いよいよ資金が枯渇していたので、売上を何とかして担保できなければ、会社が潰れるという状態にまで陥っていた。知り合いの経営者の方から教えてもらったビジネスマッチングが流行っているという情報を基に、残っている資金をはたいてビジネスマッチング3社を同時利用し始めたところ、受注に繋げることができて、何とか盛り返すことができた。資金が枯渇しそうだったので、追加融資も行って、何とか会社を延命させた。ビジネスマッチングのおかげもあり、2022年中で受注金額は約2000万円を記録できた。その案件の一部は2023年の5月現在もまだ継続している状況だ。

現在残っているメンバーは、エンジニアの松井さんとデザイナーの熊本さんの2名のみ。松井さんとの付き合いは、この8月で3年になる。松井さんもエンジニア経験が6年目となり、自社で経験を積んでプログラマーとしての腕を磨き、随分と板についてきて、任せられるようになってきたと思う。熊本さんも自社に来てから1年半が経過するけど、当時はウェブサイトのデザイン経験が乏しく、アプリのデザイン経験はない状態だったが、私と議論を重ねながら案件をこなしてスキルアップしてきた。現在では、私の想いをくみ取ってくれるようになったので、随分仕事がやりやすくなってきて、報酬も先日少し上げたところだ。

私自身、2019年の夏、松本君が自社に参画してきたところから、2023年の夏で丸4年が経過するわけだけど、その間、プロジェクトマネジャーとして、多くの案件の営業と管理を対応してきて、マネジメントのスキルは随分向上したと思う。だけど、その間、プログラミングのコードを書く機会は半減したし、実際に技術者としての経験はほぼ止まったままになっている。メンバーに投げる仕事の合間に、SESの案件を決めてきては自分が参画して、技術のキャッチアップを行いながらここ数年は過ごしてきた。その間も、営業は継続していたし、メンバーが仕事をする上での課題解決やお客様との業務調整などは一手に引き受けて対応してきた。プロジェクトを推進する上での課題を解決して、問題なくプロジェクトを終結させることにも慣れてきて、案件を不足なく進めるということの意味が十分に理解できたと思う。つまりは、マネジメントのスキルを身に着けて、仕事の進め方は随分改善した。

マネジャーとして生きていくべきか

さて、2023年の夏に差し掛かる現在だが、2021年度に1000万円の債務超過をだした自社だけど、2023年度は何とかその1000万円の利益を担保できそうな状況にはなってきた。これもメンバーが賢明に働いてくれるおかげだと心からそう思う。だけど、プロジェクトマネジャーとして、営業と案件管理のことを考えたり、メンバーの手が空かないようにと仕事を投げ続けるために気を馳せていると、私の気持ちが全く休まらずに、他事をするための余力が全くと言って良いほど生まれてこない。何かする余力があるならば、営業をして案件を確保して、メンバーに投げるということをしなければならないからだ。そんなプロジェクトマネジャーとしての生活も4年が経過するけど、ここ最近になって、色々なことを考えるようになってきている。

とにかく、お金を稼ぐことは大事だけど、それよりも、社会のためになることをしたいとか、自分にしかできない仕事がしたいとか、そういうことを考えるようになってきた。私は元々プログラマーとしての技術者経験が長いし、マネジャーよりも技術者の方が向いているとメンバーからは言われることが多い。実際に営業として優れている人と自分を比較すると、私はやっぱり営業や管理者ではないなと感じることが多い。私はやっぱり技術者だ。だけど、マネジャーをやっていると、メンバーや仕事のことで頭がいっぱいになって、自分自身の技術を磨くために思考を巡らせる時間も取れないし、勉強する時間も取れない。メンバーのためやお金を稼ぐために自分自身がなすべきことが出来ないというジレンマにはまっているような感覚に陥るようになってきた。

私は、この4年間よく頑張ったと思う。マネジャーとしての経験もなかったし、案件の旗振りの経験もなかった中、目の前の仕事に懸命に向かいながら共に歩んでくれたメンバーと共に成長をしてきた。一番成長をしたのは私自身だと思う。だけど、それももう終わりにしようと思う。

チームを解散して新たな働き方へ

私はこれから、資格の学習やソフトウェアのプロダクトを作ろうと考えている。そのためには、チームは必要ないし、チームを持つことで、思考や時間の大部分を持って行かれるというデメリットの方が大きいと感じるようになってきた。チームを持つことで、メンバーに仕事を回していれば自動的にお金が稼げるので、楽にお金を稼ぐ上ではチームはとても良い。だけど、チームを運営してお金を稼ぎ続けたとしても、大幅に状況を改善するための施策を走らせることができないため、自転車操業は解消されないままだ。実際に現在の自転車操業を4年間続けてきて、これまでのやり方が間違っていると今日、定義することにした。現状を維持しても手に入るのはわずかな利益のみ。その対価は、私のマネジメントに消える私の意識や時間だ。だから、これからは少し将来に向けて時間を使うことにする。

具体的には、チームメンバーのために営業をすることをやめる。チームメンバーの課題解決の支援をやめる。チームメンバーの仕事をお客様に報告することをやめる。私は今まで、チームメンバーのために仕事を受注して、メンバーに依頼し続けてきたけど、それももう終わりだ。

そして、私自身は、100%の稼働率でのSESの案件に集中をすることで、働く時間を最短化する予定だ。1日8時間×週5日間×年間50週で2000時間になる。自分自身のSESは、高単価で契約ができるため、単価さえ守ることができれば、100%稼働のSESだけで十分に生活できるだけの金額を稼ぐことができる。メンバーのために使っていた時間から解放されることで、他のことに意識を回すことができるようになる。その意識と時間を、すべて技術の学習と個人開発に充てることで、自分自身の成長に投資する予定だ。私の個人特性を考えた場合に、本来あるべき姿は、技術に特化したエンジニアだと自分自身でも感じるので、その方向で調整をしていく予定だ。

技術者として自分がやるべき仕事をしようと決意

もともとチームを拡大しようと思った理由のひとつに、チームを持てば自分の時間が増えると思っていたけど、実際は逆だった。関わる人間が増えれば増えるほど、自分の時間が減ることがわかったので、まずはチームを解散することで、自分1人に戻ることが必要だ。チームを解散するのには相応の勇気が必要だ。ここ数年間はメンバーに仕事を依頼してきていたので、自分自身の技術力が低下しているのを感じるし、技術面における浦島太郎状態になっていると感じるところがあるからだ。正直なところ非常に怖いけど、この第一歩を乗り越えていかない限り、技術者のキャリアには戻れない。

技術だけではなく、マネジメントのスキルも身に着けることができたのでそのバランスを活かした仕事ができるようになったと感じているので、今後は技術面とマネジメント面を両立しつつ、エンジニアやコンサルタントとして、案件に参画をしていこうと思う。案件を探す部分でも、独力で企業と繋がる努力をすることで、単価を担保する予定だ。世の中の企業のことを知るために、四季報を購入した。

2017年からは、フリーランスのプログラマーとして働いたのが独立の第1章だとすると、2020年からは、エンジニアリングマネジャーとして働いた第2章だ。2023年はまだマネジャーとしての仕事が残っているけど、2024年を目途に、エンジニアとして、本来あるべき自分の姿へと戻っていく予定だ。エンジニアとしての第3章を始めよう。

私はこれから、技術者としての学び直しを始めて、自分にしか作れないものを作ることをする。我武者羅に前進をして、行き詰まったらまた考えれば良いと思うので、進めるところまで前進するつもりだ。もう一回り大きく成長できるように全力を尽くそうと思う。